ここ1ヶ月で考えている2つのこと「ランニング」「好きなことをやる」

*2021年5月頃に執筆したが、修正しているうちに掲載し忘れていた。

せっかくなのでこのタイミングで掲載する。

 

はじめに

文章を書くことや自分の思いを形にすることは、人間の中にあるとても豊かな欲求であり、それをどんな形でも表現することが様々な可能性を広げることに繋がる。

私は専門家ではないし、なんの知識もない。かといって、私見を文章に起こし、全世界に公開することはやましいことでもなんでもない。

恥ずかしいとか無責任だとかを自分で決めつけてなにも行動しないことこそ一番の悪だ。という所存(自己肯定)からいろいろ思うことを書いていきたい。

 

 

1.ランニングは睡眠であり、瞑想である。

4月の初め頃からランニングを久々に再開した。寒い季節はなかなか腰が上がらなかった。始めて一週間ほどは、全く0の状態に体力が落ちていることにややショックだったが、まぁその時その時のできる範囲でやればいいと、気軽に続けることにした。物事が続かない自分の対策として、やる気がなかったら無理にやらなくてもいい。ただ外に出て散歩はしようと決めて、外に出ることは約束にした。そうしてやる気のない日に、ランニングという文字が頭に浮かぶと、まぁ散歩でいいからとりあえず外に出ようというポジティブな気分でウェアを着て外に出ることに成功した。外に出てしばらくすると、せっかくだからと走り始めるのだ。こんな感じで今のところ楽しく走り続けている。

この低いハードルからこなしていくという方法は、今やどこでも言われている方法で、知っている方も多いはず。やはり効果は高い。

また、プレッシャーに弱い自分は、何キロ走るという目標を設定をせず、ペースもその時々で自由に変えている。スロースターターな性格もあってか、大体今日はこのくらい走ればいいかなというところで、いや、追加でもう少し走るかという気になり、最終的には結構な距離を走れている。

楽しんで継続するには、自分のスタイルを把握することが大切なんだなと実感している。

導入部分が長くなってしまったが、ランニングを続けていて思うことを書いていく。

ランニングの有用性はもはや言うまでもないほど耳にするようになった。これはもう、歯を磨いたり、お風呂に入ったりするレベルで健康的な生活には欠かせないものだと言っていい感じがある。

まずその短時間で、余計なことばかり考えていた脳を一旦リフレッシュしてくれて、自分の思考の中の何か本質的なものにスポットを向けてくれるような感じがする。

体力的な自分の限界に気づき、追い込みが甘い自分に気づいたとき、自分の今いるレベルが見えてくる。その主観が見えた上で、自分の普段の振る舞いや、他者への関わり方、自分には何が足りないのかなど、客観的な視点に思考をのばすことができる気がする。

これは睡眠による脳への効果や、瞑想によるマインドフルネスなどに近いようなものではないだろうか。

しかも、その状態はランニングを終えたあとも長時間継続する。SHOWROOMの前田社長が、朝にランニングをやっているというのもこれで納得できる。ビジネス用語で言えば、費用対効果がものすごく高いということだろう。

なんだかありきたりなことを並べてしまったが、ありきたりなことにこそ本当に大切にしたいことが詰まっているんだと受け止め、ランニングに励もうと思う。

 

 

2.どうせ何も必要ないなら、好きなことをやる

僕の住む地域は節約しながらであれば10万円ほどで暮らしていける。東京や大阪などの都会に住まなければ、他にも10万円程度で暮らしていけるところは割と多いと思う。

10万円は、時給900円で考えると8時間×14日働けば稼げる額だ。

本当に必要最低限の額だが、これだけあれば暮らしていけるのだ。生きる上でこの額があればいいと思うと、これから先どんな失敗をしても生きてはいけるなと思える。

ここでやる気を無くしてただその額を稼ぐ道に進んでもいいわけだが、せっかくなら自分はどこまでできるのかを確かめてみてもいい。

僕は今まであまり成功体験を積んでこなかったせいか人と競うのが苦手で、モチベーションの管理ができず、何かに挑戦しても失敗することが多かった。

しかし、何をしてもいいという気になれば、逆に自分の人生でいろいろ試したいことが浮かんでくる。自分の人生を実験の場と捉えることで様々な情報にポジティブに触れることができるようになった。

何かをしなければならない、こうあらねばならない、といったある種の強迫観念はとても強いパワーを持つ。そのパワーはいい方向に転ぶこともあれば、悪い方向に転ぶこともある。

自己肯定感の低い人はそうした強迫観念、または自己暗示によって、窮屈で臆病な状態に陥り、失敗を恐れて何もできなくなってしまうと言う経験を何度もしている。

しかし、何でもやっていい、失敗してもいい、というマインドで物事にあたると、じゃあ試しにやってみようかなと一歩前進することができる。

どうせ命は終わりを迎える。ふと考えると、人は自分のことしか考えることができない。

ならばどういう風に時間を使ってもいい。ましてや、自分のために使った時間が自分を作る。天才でなければ、自分自身で経験したことでしか成長できない。誰かのためになりたいと思った時に、その主体がなければ誰も支えることはできない。

結局はやりたいことをやるというのがその先に繋がる大切な道なのだと思う。