29歳、1番端っこのルートを選択した

 

正規ルートなんて、まったく見当もつかないような1番端の方にいる。

浮き沈みのない日々だったけれど、どこかに分岐点は確実にあったのだろう。

 

自分の特徴は、思い込みが激しく何に対しても不安要素が目についてしまう。プラスを得るよりマイナスを減らしたい。

だから、自分から選択することを避けてきた。自分で選択して失敗したら、より凹んでしまうから。

けれど、選択しないことも1つの選択だったのだ。

今になって思うのだけれど、何かを選択して失敗したからって、それはただの人の営みとしてごく当たり前なこと。みんなそれを自然と受け入れて暮らしている。自分はそれが本当に恐ろしかった。

でも、そうしていると日々に何も生まれない。YouTubeとお酒。ただそれだけになる。

 

たいていの人は20代で就職し、切磋琢磨しながら自分の落としどころを探していく。自分はその経験をすっ飛ばしてきた。自分には本当に何もない。けれど、自分ではそれを実感していない。楽天的なのかも。

失うものがないという今の状況。歳のせいなのか自然と人目を気にすることも少なくなってきた。

すると、自分の視点がクリアになってくる。自分が何に興味があるのか。自分が何に問題意識や責任感を感じるのか。

ただのフリーターから見ても、適当な仕事をする人は多々いる。それは、人目を気にして表面的なポジションを守るために仕事をしているから。本当は誰も見ていないのに。

 

守るものがない自分だからなのか、その仕事になんの意味があるのかと思ってしまう。

極論、世の中の仕事の大半は無くなっても人は生きていける。そう考えれば、少しでも自分の興味のある分野を追及する方がワクワクするだろうし、仕事としてのクオリティも上がるだろう。

また、年を重ねるごとに人との繋がり切望するようになった。その糸口として仕事がある。仕事という社会活動は、人との距離感と緊張感がちょうどいい。生きる意味になる理由もわかる。自分もどちらかというとプライベートよりも仕事が好きになるタイプ。

 

まとまりがない文章であるが、現時点で用意されているルートでも自分次第で面白くできる可能性があるということ。諦めではなく。人はどんな状況にもある程度適応できる能力が備わっている。それをフル活用して、ワクワクできる時間を増やしたい。